長崎街道飯塚宿の散策
筑豊が好きシリーズ第34弾
長崎街道飯塚宿は(1611年頃)に開かれたと言われていますが正確にはわかっていないようです。長崎街道といえば江戸時代の交通道路のひとつで、江戸時代街道といえば、東海道五十三次が有名ですが長崎街道も結構有名な街道ではないでしょうか。
江戸時代に唯一海外との交易がある長崎と小倉をつなぐ重要な街道です。
シュガーロードともいわれ美味しいお菓子のメーカーもたくさんあります。
この飯塚宿は筑前六宿のひとつです。飯塚宿のあった場所は、アーケード商店街になっています。
近くには1931年にオープンしたといわれる芝居小屋の嘉穂劇場もあります。
江戸時代に飯塚宿として栄え、近代には炭鉱の町として栄えました。
筑前六宿
長崎街道は距離にして57里(約230km)ある街道です。
宿場の数は25か所ありました。
そして、福岡黒田藩の領内にある宿、黒崎(くろさき)、木屋瀬(こやのせ)、内野(うちの)、山家(やまのえ)、原田(はるだ)を筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と言います。飯塚忘れてました。
筑前六宿はそれぞれが活気のある宿場だったそうです。
飯塚宿の繁栄
筑前六宿の中でも飯塚宿はもっとも変貌を遂げたようです。明治時代に入ってからは、筑豊炭田の中心地としても繁栄しました。
またこの地は縄文、弥生時代からも文明が栄えており、紀元前207年前後に中国の前漢とも交流のあった先進地でもありました。
飯塚宿には歴史的な観光スポットが点在しています。
旧伊藤伝右衛門邸
九州の炭鉱王と言われた伊藤伝右衛門が建てた国宝級の屋敷と庭園。
王塚装飾古墳
弥生時代の超一級品の前方後円墳
いかがでしたか?
飯塚宿はとても貴重な歴史の街ですね。これからも、どしどし調べて、更新していきますよ。
筑前六宿の内野宿も飯塚市にありますので訪れてみたのですが、資料が少なくて、そのうち記事にします。
あと木屋瀬、黒崎、それと終点の小倉はよく行く場所なのでそのうち記事にまとめてみます。
山家(やまのえ)、原田(はるだ)はまだよく知らないので調べておきます。
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