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にゃおタビ

にゃおゆきが山陰と地元九州を旅して感じたことを綴ったブログです。ついでに北九州市の周辺のグルメも紹介しています。

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大正ロマンの街並み:【塩カフェ】でランチ体験#福岡県直方市

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歴史の街直方市でランチを味わう「塩カフェ」

炭鉱で栄えたことで特に有名な直方市ですが、ここは江戸時代の250年間に長崎街道として栄えた街であったことはあまり知られていません。

そして、その面影は全くありません。

殿町商店の片隅に旧長崎街道の標識を見つけました。

遠い江戸時代の「参勤交代」の様相を想像してみました。

現在ここは、大正ロマン・レトロの街並み、というそうです。

塩cafe 

(塩カフェ)

大正ロマンの家屋を使用した「塩カフェ」にお邪魔しました。

おしゃれな空間でランチを食べる。至福のひと時ですね。

お店のおしゃれなホームページを是非見てください。⇩

www.shiocafe.com

直方市の歴史

天下分け目の関ケ原の戦いのあと筑前国を与えられた黒田長政は福岡藩を設立させるとこの直方の地も支配下となった。元和9年(1623)長政の死後、当地は四男高政に与えられ、福岡支藩の東蓮寺藩(とうれんじはん)が設立され、陣屋町として整備されました。

その時、侍屋敷や町屋などが建設されました。

また、ここは遠賀川の水運が盛んで、商業の街としても栄え、長崎街道でもあり、宿場町ではなかったものの、参勤交代の通り道なので道路もよく整備されて、いろんな通行手段に利用されたため、この町には多くの人で賑わいを見せていた。

江戸時代の後期からも石炭産業が盛んになり、筑豊炭田の中心地となりました。

三井、三菱などの財閥も、この地に定住して、鉄道も敷かれ、同時期に鉄工業も盛んになり、街は発展していきました。

しかし、何という事か、明治時代から大正時代にかけて、石炭で繁栄を極めたことで、それまでのレトロな街並みをすべて作りかえてしまったそうである。

長崎街道だった時代の侍屋敷や町屋の面影はなくなってしまったそうです。

かつて人々が賑わった古い街並みだったところは長い長いアーケド商店街になっています。そのアーケド商店街が途切れた殿町あたりに近代建築や洋風建築がいくつか残っています。それ以前の江戸和風家屋は残されていないようです。

 

 

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いかがでしたか?

久しぶりの直方ランチです。

カレーが美味しかったので、次はパスタに突撃してみようと思っています。

スィーツも美味しそうなので食べてみたいですね。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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