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にゃおタビ

にゃおゆきが山陰と地元九州を旅して感じたことを綴ったブログです。ついでに北九州市の周辺のグルメも紹介しています。

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【僧 清虚の像】感動の物語#北九州市門司区大字白野江#青浜海岸

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僧 清虚の像:感動の物語#北九州市門司区大字白野江

新シリーズ北九州探訪ここがおもしろい第一弾です。

北九州市の門司港地区といえば門司港駅前のレトロ地区めかり公園がとても有名な観光名所です。

北九州市民でも意外と知らない観光名所がこの「僧 清虚の像」ではないでしょうか?

ニューヨークにも似たような像がありますね(笑)。

こちらは「自由のおじさん」ですかね!?

実在した、伝説のお坊さんのようです。

青浜海岸という美しい海岸です。

向こう岸に見えるのは山口県ですね。

 

僧 清虚の伝説

天保7年(1836)大分県国見町出身の僧 「清虚」は、高野山へ修道に向かう船中、部埼周辺の海が暗礁が多く航海の難所となっていることを知り、「何とか多くの命を救おう」と、下船してこの地で船の道標となる火を焚き続けることを決意しました。
清虚は日中に托鉢で得た糧を焚料の買い入れにあて、一日一食の生活を続け、74歳で亡くなるまでの13年間、雨の日も風の日も、読経とともに火を焚き続けたのです。 その後、部埼灯台が建設されるまで、清虚の偉業は村人により引き継がれました。
昭和48年(1973)には、地元有志により、灯台の袂、僧清虚の像が青浜海岸に建立され、航海の安全を見守っています。
また、灯台後方の山頂付近にあった清虚の火焚場は大雨により失われていましたが、平成20年、清虚が松明を灯し始めてから170周年を記念して、「僧清虚顕彰会」により復元されました。

北九州市のホームページより引用

 

清虚の火焚場

なんていいお話なんでしょう。

一日一食で74歳まで13年間雨の日も風の日も読経とともに火をたきつづけた。

清虚さんすごいひとです。

多くの命がすくわれたことでしょう。

僧 清虚となったきっかけは?

僧清虚の名は、もとは太兵衛と言い、江戸時代最後の安永6年(1777年)に現在の国見町伊美友康の松本家に生まれました。家業の指物職に励んでいましたが、若い頃村祭りの奉納相撲で相手を誤って投げ殺してしまいました。ものの弾みということで無罪放免となりましたが、太兵衛はkのことを大変憂い、その罪を償おうと諸国を行脚していた船中で、念佛埼(狐岬)と呼ばれている文字の部埼沖で度々夜の船の難破で多くの人や船荷が亡くなることを聞き、何とか多くの人命を救おうと、下船し火を焚き続けることを決心しました。
乞食坊主、一食坊主と蔑まれながらも托鉢をして焚火の資金を集め、74歳で世を去るまでの13年間、雨の日も風の日も読経とともに火を焚き続け、灯台の役目を果たしました。清虚の死後は地域の人に引き継がれ、清虚が焚火を炊いた近くの高台に西洋式灯台が建てられました。

九州旅倶楽部ホームページより引用

僧清虚像

http://9tabi.net/fukuoka/fukuoka02/fukuoka222.html

まるで小説のような実話に感動してしまいました。

 

 

部崎灯台(へさきとうだい)

現在はその場所に灯台が建っています。

次回は部崎(へさき)灯台のお話です。

いかがでしたか?

北九州探訪第一弾と銘打ってはみたものの、はたしてどこまで続きますでしょうか?

 

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