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にゃおタビ

にゃおゆきが山陰と地元九州を旅して感じたことを綴ったブログです。ついでに北九州市の周辺のグルメも紹介しています。

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日本三大奇勝大分県中津市耶馬渓と日本最古の有料道路「青の洞門」

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日本三大奇勝大分県中津市耶馬渓と日本最古の有料道路「青の洞門」

大分県の中津市にある耶馬渓に来ました。

大分県中津市にある山国川の上・中流域及びその支流域を中心とした渓谷で、日本三大奇勝の一つに数えられ、日本新三景に選定され、名勝に指定されている地域。耶馬日田英彦山国定公園に含まれています。

そしてここは有名な「青の洞門」です。

青の洞門とは

豊後国羅漢寺を参詣した曹洞宗のである禅海は、川沿いの断崖にかかる危険な青野渡(人馬が落下するという事故が多かった)を憂慮し、陸道の掘削を思いつきました。1730年頃、中津藩主の許可を得て掘削を開始し、周辺の村民や九州諸藩の領主の支援を受けながら、30年以上の歳月をかけて1763年に全長308歩、高さ2丈、径3丈の道路を完成させました。

工事完了後は一定期間、人は4文、牛馬は8文の通行料を徴収し、工事費に充てていた。「青の洞門」は日本最古有料道路とされている。

菊池寛の小説『恩讐の彼方に』(おんしゅうのかなたに)

菊池寛の小説『恩讐の彼方に』は、禅海和尚の逸話を基に書かれたものである。ただし、小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、「青の洞門」という名称は使われていない。また、主人公の僧の名は「了海」とされている。

『恩讐の彼方に』あらすじ

越後の柏崎に生まれた主人公の市九郎は、浅草田原町の旗本・中川三郎兵衛の愛妾(めかけ)であるお弓と密通していた。それが三郎兵衛に知られ、市九郎は手討ちされそうになったが、反撃して三郎兵衛を斬ってしまった。市九郎はお弓にそそのかされて家出した、中川家は家事不取締により断絶に至った。

東山道の鳥居峠で茶屋を営む市九郎とお弓は、表向きは茶屋の夫婦だが、裏では人斬り強盗を生業としていた。

江戸を出奔(しゅっぽん)*1してから3年が経った春、自分の罪に怯えた市九郎は、お弓から離れ、美濃国大垣にある真言宗の寺院、浄願寺で、明遍大徳の慈悲により出家し、法名を了海と名乗り、罪を償うために全国を巡る旅に出た。

享保9年(1724年)8月、赤間関小倉を経て豊前国に入った市九郎は、宇佐八幡宮に参拝し、山国川沿いの耆闍崛山羅漢寺を目指した。樋田郷に入った市九郎は、難所である鎖渡しで事故によって亡くなった馬子に遭遇した。そこで、その難所の岩場を掘削して、事故で命を落とす者を救おうと誓願を立てた。*2

近所の人々は、そのような市九郎を狂った僧侶として扱い、無視していた。しかし、それが長年続くと、何度か石工を雇って協力しようとするが、難しい工事のため、長続きせず、また市九郎一人に戻ってしまうのであった。

18年の歳月が流れ、中津藩の郡奉行の尽力により、ついに石工を雇って掘削作業を進めることができるようになった。

江戸で市九郎によって斬られた三郎兵衛の息子、中川実之助は父が3歳の時に亡くなった。親族の元で育てられ、13歳で父の悲しい死の経緯を知った。実之助は柳生流の道場に入門し、19歳で免許皆伝を取得した。27歳まで全国を旅し、九州に入って福岡から中津に来た。そこで、市九郎と同一人物の了海という僧が山国川の険しい場所で苦しい状況にあることを知り、急いで現場に向かった。

市九郎は実之助に斬られることを望んでいたが、石工たちが止めに入ったため、仇討ちは洞門の開通まで延期された。実之助は本懐を早めるべく、石工たちと共に掘削を始めた。

市九郎が掘り始めてから21年目、実之助が来て1年6ヵ月後の延享3年(1746年)9月10日の夜九時近く、ついに洞門が開通した。

市九郎は実之助に自分を討たせようとしたが、実之助は市九郎の大慈大悲に心を打たれ、仇討ちの心を捨て、市九郎に抱きついて泣き崩れた。

とまあなんとも感動的なお話ですが、もちろん史実ではありません。

江戸時代後期、大分県の山国川沿いにある耶馬渓の交通難所に、禅海という実在の僧が青の洞門開削した。禅海托鉢勧進によって掘削資金を集め、石工を雇って掘ったのであり、小説の主人公である市九郎(了海)のように独力で掘り続けたわけではない。また、敵討ちの話は作者の創作です。

大昔の記事ですが、禅海大規模な土木工事を大勢の石工を雇って成し遂げたことが、歴史調査で明らかになったことを知りました。

 

中津市出身の福沢諭吉が、景観を守るために青の洞門のある競秀峰の土地を買い取ったことで知られている。地元住民は、福沢諭吉がその土地を買わなかったら青の洞門が残っていなかった可能性があると述べている。

大分県中津市耶馬渓の「青の洞門」はいかがでしたか?

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

そういえば北九州市の僧 清虚も海難事故を防ぐために・・・。

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*1:逃げて姿を消すこと

*2:誓願 (せいがん)には、次の意味がある。 神 仏 に誓いを立てて、事の成就を願うこと 。 願掛け 。 上座部仏教 における 波羅蜜 のひとつ、Adhiṭṭhāna。 大乗仏教 において、 仏 や 菩薩 が一切 衆生 を救おうとして立て、必ず成し遂げようと定めた誓い 。

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