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にゃおタビ

にゃおゆきが山陰と地元九州を旅して感じたことを綴ったブログです。ついでに北九州市の周辺のグルメも紹介しています。

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島根県松江市松江城で歴史と文化に触れる旅

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松江城に行ってきました!

こんにちは、にゃおゆきです。5月に、島根県松江市にある国宝の松江城に行ってきましたので、その様子をご紹介したいと思います。松江城は、江戸時代に松江藩の政庁として使われていた城で、現存する12天守のうちの一つです。別名「千鳥城」とも呼ばれていますが、それは天守の屋根が千鳥状になっているからだそうです。松江城は、亀田山という小高い丘の上にあります。天守からは、美しい宍道湖や松江市街が一望できます。天気が良ければ、出雲大社や石見銀山なども見えるそうですよ。天守の中には、歴史資料や武具などが展示されています。また、天守の最上階には、松江藩主の御座所が再現されています。ここでは、当時の様子を感じることができます。松江城の周りには、本丸や二の丸、三の丸などがあります。これらの建物や土塁は、小瀬甫庵という軍学者の縄張りによるものです。小瀬甫庵は、松江藩の軍制改革や防衛策を考えた人物で、松江城を平山城として完成させました。松江城には、国宝だけでなく、国指定重要文化財や国指定名勝も多くあります。例えば、大手門や月照寺・普門院・八重垣神社宝物殿などです。これらの建造物や庭園は、松江藩の歴史や文化を伝えています。松江城に行くには、JR松江駅からバスで約15分です。また、松江歴史館や堀川遊覧船などとセットで割引が受けられる3館共通券もあります。詳しくはをご覧ください。松江城は、日本の歴史や文化を感じることができる素晴らしい城です。ぜひ一度訪れてみてくださいね。


松江城

天守閣からの眺望

松江城にある歴史ある神社、松江神社に行ってきました!

こんにちは!今回は、島根県松江市にある松江城に隣接する松江神社に参拝してきた様子をご紹介したいと思います。

## 松江神社とは

松江神社は、島根県松江市殿町にある神社で、松江城跡地にあります。松江藩の初代藩主である松平直政公や、徳川家康公の御神霊(東照宮)、松江藩の中興の明主である松平治郷公などを祀っています。

 

この神社は、明治10年(1877年)に、旧松江藩の有志により、西川津村(現・西川津町)楽山に松平直政公を御祭神とする楽山神社として創建されました。その後、明治31年(1898年)に西尾町にあった東照宮と合祀し、翌年に現在地の松江城山二之丸に遷座して、神社を松江神社と改めました。昭和6年(1931年)には、松江開府の祖である堀尾吉晴公と、松江藩中興の明主である松平治郷公の御神霊を配祀しました。

## 参拝の様子

私はJR松江駅からバスで約10分ほどかけて県庁前バス停で下車しました。そこから徒歩5分ほどで、参道入口の鳥居が見えてきました。

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手水舎で手を清めた後、拝殿に向かって二礼二拍手一礼をしました。神様には、松江藩の歴史や文化に関心があることや、これからも健康で幸せに暮らしたいことなどをお願いしました。拝殿の中には、松江神社の由緒や祭神の紹介などが掲示されていました。

 

拝殿の右側には本殿があります。本殿は寛永5年(1628年)建造で、国の重要文化財です。屋根は入母屋造りで茅葺きで、正面には唐破風が付いています。本殿の前には石段がありますが、一般人は上がることはできません。本殿の中には、祭神の御神像や御神体などが安置されています。

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参拝を終えた後、境内を散策しました。境内には、松江神社の歴史を紹介する石碑や、松江藩ゆかりの人物の像などがありました。また、境内からは松江城や堀川などの景色を眺めることができました。

 

## まとめ

松江城にある松江神社は、松江藩の歴史や文化を感じることができる素晴らしい神社でした。国の重要文化財に指定されている建造物も多く、見どころがたくさんありました。松江市に行った際にはぜひ訪れてみてください。

松江神社

堀尾吉晴公は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、松江藩の初代藩主です。尾張国出身で、織田信長や豊臣秀吉に仕えて各地を転戦しました。特に稲葉山城攻めでは、秀吉を裏道に案内して織田軍を勝利に導いたといわれています。

秀吉の死後は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは東軍に与しました。その功績で出雲国富田24万石を与えられましたが、慶長16年(1611年)に松江城を築城し本拠を移しました。しかし、間もなく同年6月17日に死去しました。享年69。

## 堀尾吉晴公の像とは

堀尾吉晴公の像は、昭和27年(1952年)に松江市民有志が寄付したもので、彫刻家・小林清親氏が制作しました。高さは3.5メートルで台座も含めると6.2メートルです[^5^][5]。陣羽織を着て、右手に指揮棒を持ち、松江城や城下町の建設を指揮する姿を表しています。

この像は、国宝・松江城の正面玄関にあたる大手前広場にあります。この場所は、かつて大手門があった場所で、全国最大級の櫓門式だったと言われています[^5^][5]。現在は門はありませんが、その跡地に堀尾吉晴公の像が建っています。

この像は、松江城や松江市の歴史や文化を感じることができる素晴らしい像です。松江城を訪れた際にはぜひ見てみてください。
 

 

# 興雲閣に行ってきました!

島根県松江市松江城内にある興雲閣に行ってきました。興雲閣というのは、明治時代に明治天皇のために建てられた擬洋風の迎賓館です。残念ながら明治天皇はここに来ることはありませんでしたが、後に大正天皇となった皇太子嘉仁親王が宿泊されました 。興雲閣は島根県指定有形文化財になっています。

[興雲閣の外観]

興雲閣は松江城内にありますが、入館料は無料です。中に入ると、高い天井や木製の梁が目を引く広い部屋があります。ここは元々客間や応接間として使われていたそうです。壁や天井には華麗な装飾や彫刻が施されています。特に目立つのは、三つ並んだ緑色の扉です。扉の上には窓があり、その上には「興雲閣」と書かれた看板があります。扉の両側には赤いカーテンがかかっています。

[興雲閣の内部]

この部屋から階段を上がると、二階に行けます。二階には皇太子嘉仁親王が宿泊された寝室や書斎があります。寝室には西洋式のベッドや机、椅子などが置かれています。書斎には本や文房具などが飾られています。二階からはバルコニーに出ることもできます。バルコニーからは松江城や庭園などの景色を楽しめます。

興雲閣は明治時代の日本の近代化を象徴する建物だと思います。西洋と日本の文化が融合した様式や装飾が見事です。興雲閣を見学することで、当時の皇室や政府の人々の暮らしや思想を垣間見ることができます。興雲閣は日本の歴史や文化を学ぶ貴重な場所だと思います。

私は興雲閣に行って、とても感動しました。興雲閣は松江市の観光名所の一つだと思います。もし島根県に行く機会があれば、ぜひ興雲閣に行ってみてください。

興雲閣

島根 松江 マップ|旅をおもしろくする観光地図 今八

 



 

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