福岡県嘉麻市「益富城」城跡
福岡県嘉麻市にある「益富城」城跡に行きました。ここは1430年頃の室町時代に大きな勢力を保持した守護大名、大内盛見(もりはる)によって築城されたそうです。
戦国時代末期には、当時北部九州で勢力を誇っていた、朝倉の秋月氏の持城でしたが、豊臣秀吉の九州遠征によって攻城戦が行われた場として歴史で語られています。
かなりの大規模な城郭だったことが、最近分かったそうです。
城跡を歩いていると、その広大さに驚きました。はたして豊臣秀吉は難攻不落のこのお城をどう攻めたのでしょうか?
筑豊が好きシリーズ第46弾
福岡県の筑豊地方が今とても面白いと思う今日この頃です。
今回ご紹介する嘉麻市の益富城(ますとみじょう)も、毎年行われている「一夜城祭り」と深い関係があります。
とても珍しいお祭りなので一度参加してみたいものです。
一夜城伝説
嘉麻市の一夜城伝説は俗に「もう一つの一夜城」と呼ばれています。
全部で3つある豊臣秀吉の一夜城伝説
岐阜県大垣市の墨俣(すのまた)一夜城
この話は、有名ですが、伝説として残されています。
もう一つは、
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- 石垣山城
- 小田原征伐の際に陣城として築かれた城で、小田原方から気付かれないように小田原城側の山の木を伐採せずに築城し、大方出来上がった時点で、木を伐採することで、一夜にして城が出来上がったかのように見せかけたとされる(『小田原北条記』巻九)。記録には、6月初旬に伊達政宗が訪れたときはまだ完成していなかったと伝えられているが、同月20日付けで千利休が古田織部に宛てた書状には「今月中に出来上がる」という趣旨のことが記されているという[3]。後世の軍記物『小田原北条記』巻九では、「4月1日に、石垣山に兵を上げて陣屋を作り、矢倉を組み立て、その四方の壁面に杉原紙を張りまわした」ことで、一夜の内に「白壁の屋形」ができあがったと説明する。
- wikipediaより引用
下の物も一夜城と呼ばれることがある。↓
福岡県嘉麻市には、豊臣秀吉のもう一つの一夜城伝説があります。
と言っても本当にお城を築城したわけではありません。
農民と協力して、障子や、戸板を持ち寄って張りぼてのお城を一夜のうちに作ったというのです。城主の秋月種実は益富城に自ら火を放って、10kmほど離れた古処山城に逃げ帰っていました。ところが、一夜で復活したお城を見て、秀吉の恐ろしさに降伏しました。
秀吉は住民の協力に感謝の意を示したそうです。
自ら着ていた陣羽織を褒美に与え、税や労役を免除する特権を認めたと諸本に記録されています。「華紋刺繍陣羽織」として国指定重要文化財に指定されています。
華文刺縫陣羽織(かもんさしぬいじんばおり)
天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州出兵の際に、秋月攻略の恩賞として当時の大隈町が秀吉自身から賜ったとされるもので、昭和35年(1960)に国の重要文化財に指定されました。
嘉麻市観光街づくり協会のホームページより引用
嘉麻市では毎年10月ごろに開催され夜のライトアップで、一夜城が蘇ります。
「一夜城の伝説」を信じるか信じないかはあなた次第です。
敷地を全部歩くと結構な距離です。
益富城跡からの絶景です。美しい嘉麻市の田園風景です。雄大な嘉麻アルプス連山も良く見えました。
江戸初期に入ると、筑前六端城といわれ、福岡藩の支城の一つとして栄えました。
後に黒田武士で有名な母里太平が城主になり。一国一城令のため取り壊しになりました。広大な城内を散策してみると、屈強な山城が聳え立っていたことが想像できます。
ドラえもんがいたら見に行けるのになぁ…(*^^)v
余談ですが、ちなみに
織田信忠の一夜城伝説というのもあるようです。
いかがでしたか?
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