番長皿屋敷の元ネタ?「福岡県嘉麻市の皿屋敷」
テレビや映画にもなったのかな?あの有名な「番長皿屋敷」は1720年頃に「歌舞伎」
寛保元年1941年の将軍吉宗のころに「浄瑠璃」後に「講談」等の題材になって、怪談の定番になりました。
今や「お岩さん」と並ぶ知名度ではないでしょうか?
ちょっと背筋が・・・
突然ですが新シリーズです。
名付けて「福岡県の民話を訪ねて第1弾」
第一回目にふさわしい、全国的にも知られている有名なお話です。ちょっと怖いけど(*^^)v
嘉麻群(現在の嘉麻市)碓井町上臼井の石竹に残る皿屋敷物語
元禄時代のことです。(1688年~1704年)将軍綱吉のころ
この地に清左衛門というという豪農*1がいた。
たまたま来客があり、高麗製の家宝の小皿を使ってもてなしたのだが、さてそれをしまうときになって十枚中の一枚が紛失しておりそのため女中のお菊が清左衛門とその愛妾から烈しく責められた。お菊はたまらず屋敷の井戸へ身を投げて死んだ。
その夜からである。
井戸の中から「いちま~い、にま~い・・・・きゅう~ま~い・・・あら・・いちまいたりないわ」
これが毎晩続くのはたまりませんね。
番長皿屋敷では紛失でなく割れてしまいます。
そして9枚目のあとにえらいお坊様が10枚と言ってあげると「あらうれしやお皿が揃った」といって成仏するという結末じゃなかったですかね。
皿屋敷の結末
嘉麻市の皿屋敷の話にはつづきがありまして・・・
お菊さんには三平という夫と母親がいました。お菊さんを成仏させてあげるために二人は、四国八十八か所を巡りました。お菊さんの母が亡くなった後に、三平は播磨の国(兵庫県南西部)に移り住み、やがてその土地の女性と結婚します。亡くなった母の回向(えこう)にさるお寺へ出かけた折、突然激しい雷雨がおきた。そしてその雷雨がすぎたところ、供にいたはずの女房の姿が消え、衣類だけ残り不思議にもその中に高麗の小皿が一枚入っていたという。
お菊さんが三平を慕って現れていたのでしょうか。
ほどなく成仏したお菊さんは「お菊大明神」として大切に祭られています。
お参りすると、「腰から下の病気に効くのだそうです」
嘉麻市が建てた、案内板です。⇩
お菊さんが投身した井戸は今でも残されています。
お菊さんのお墓は嘉麻市永泉寺の六地蔵の右端に台座だけが残っています。
日本各地に点在する皿屋敷の伝説
皿屋敷の伝説は実は日本の各地にいくつか有り、その中でも有力候補もあるようです。福岡県の皿屋敷はその中でも末席の扱いですが、皿屋敷の元ネタではないとしても、史実には違いないと考えています。
信じるか!信じないかは、あなた次第です。
絶対言うとおもったわ!
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今回の記事は、資料として、「ふるさと筑豊」ー民話と史実を探るー
を参考にさせていただきました。
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*1:多くの土地を所有し、ある程度の権勢も備えた、裕福な農家農家