古代ロマン!稲作発祥の地、遠賀川文明!立屋敷遺跡!
前回は水巻町のコスモス祭りを紹介しました。そこに前川清さんとその息子さんヒロキさんと娘さんのユウナさんが登場して、実は知らなかったんです。水巻町の情報が手元にないのでたまたまコスモスのお祭りを見に行ったら。うれしかったですよ。前川清さん大好きですから。奥さんが水巻町の出身という縁があったそうですが。これは来年もさらに盛り上がりそうですね。
水巻町立図書館にやってきました。
好きな場所なんです。
稲作発祥の地、遠賀川文明というのをご存じですか。
遠賀川流域から多くの土器や遺跡、稲作のの発祥を裏付ける遺物などが発見されています。遠賀町、水巻町、飯塚市、嘉麻市、など広範囲にわたる遠賀川流域で古代文明の痕跡がみられるそうです。
この水巻町で発見された遺跡を「立屋敷遺跡」といいます。九州で初めて、弥生時代前期の土器が発見されたそうです。
現場に行ってみました。
砧とは、
砧(きぬた)は、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具。また、この道具を用いた布打ちの作業を指す。古代から伝承された民具であり、古くは夜になるとあちこちの家で砧の音がした。その印象的な音は多くの和歌にも詠まれ[注釈 1]また数多くの浮世絵の題材とされてきた。日本の家庭では、炭を使うアイロンが普及した明治時代には廃れたが、朝鮮では1970年代まで使われていた。現在では完全に廃れている。wikipediaより
砧姫物語
むかしむかし 遠賀川の岸辺に一人の姫君が流れ着いた 村人はかわいそうに思い娘を助け、小屋を建ててやった。娘は砧を打ち、村人の野良着を作ったり 洗濯をしたり、それはよく働いた。村人は娘を砧姫と呼び、ますます大切にした。
ある日河口に軍船が姿を見せた、先頭の船にはたくましい若者が、水巻山を指していた。若者は熊襲と戦うために兵を率いてきたヤマトタケルノミコトである。
旅の途中海が荒れたので遠賀川に船を乗り入れたのだ。ミコトが水辺を歩いていると小さな小屋の中から砧を打つ音が聞えてきた。中を覗き込むと、清楚で美しい娘が一心に砧を打っていた。「私の身の回りの世話をしてはくれまいか」砧姫はミコトの頼みを聞いて立屋敷に行くことになった。
ミコトは美しい砧姫をいとしく思い、姫もまた、たくましく心の優しいミコトを好きになった。
広い川面がきらきら光り、魚が飛び跳ねる水辺でミコトは砧姫に約束した「いくさが終わったら必ずここに戻ってくる」
けれども、ミコトには次のいくさの命令がくだっていた。
「どうか行かないでください、あなたの御子が生まれます」砧姫の涙を見てミコトは身を引き裂かれる思いであった。
別れの日ミコトは砧姫の小屋の前に、銀杏(いちょう)の苗木を植えた「この木は大きくなると、きっとそなたを助けてくれるはずだ」
砧姫はミコトの王子を生みそのことは都のミコトにも伝えられ、帝によってその名を「砧王」と名付けられた。
銀杏(いちょう)のもとで、すくすく育ち のちに、遠賀の王となって栄えた。いちょうは、長い年月を生きて、今は、八剣神社の大イチョウとよばれる。
老木のため鉄骨で補強しています。
今回は福岡県水巻町の遠賀川文明、立屋敷遺跡、砧姫伝説のお話でした。
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