福岡県福岡市「万葉歌碑」志賀島第四号碑
「志賀の浦に漁する海人明けくれば 浦み漕ぐらしかじの音きこゆ」
天平8年(736)の遣新羅史一行が、途中筑紫館に滞在しているときに詠んだ歌だそうです。博多湾の志賀の浦で漁をする海人も夜が明けると船を漕いで家に向かっているらしい。楫の音が聞える。という意味だそうです。
海の漁師も家路を急いでいるようだが、今の自分(新羅への使節)の境遇と比べるとうらやましい限りであるといった心情を歌っています。
志賀島に関す万葉歌は、全部で23首
志賀島の万葉歌碑は、全部で10基あります。
志賀島の万葉歌碑は,全部で 10 基建設
されています。昭和 40 年代の始め,時あ
たかも明治 100 年,記念行事として旧志
賀島町では,ゆかりの深い万葉歌碑の建設
を行うこととしました。第1号が昭和 44
(1969)年6月に完成,以降1年に1基の
建設を予定しました。
志賀島に関する万葉歌は,全部で 23 首
と言われています。
山上憶良の海人の歌 10首
覊旅の歌 4首
遣新羅使の歌 4首
塩に関する歌 4首
その他 1首下記のホームページより引用
https://sanpokai.tank.jp/pdf/sikanosimasaitozaki.pdf
志賀島第4号歌碑は、前回ご紹介した、「塩見公園」内の展望台の下に建立しています。
万葉集は日本の中央で編纂された歌集ですが、志賀島で歌われたものが、23首もあるということは、志賀島が古来よりよく知られた場所、有名な地名であったことがうかがえます。
古来の人たちの歌に触れると、その時代にタイムスリップしたような情緒風情を感じることが出来るのは何とも不思議な気持ちです。
いかがでしたか?
志賀島シリーズ第5弾でした。
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